その1

「――喋りすぎではないかしら、シスル」

いつの間にか結城さんが腕を組んでこちらを見ている。

『そうかい。そもそも僕は、セキュリティレベルにおいて許可されている範囲の情報しか伝えることはできないんだけどね……まあ、麗華も来たことだし、ここで本題に入ろう』

モニターに首都圏の地図が映し出される。

『最近ポイント203――まあ君たちにわかりやすく言えば、上野と呼ばれている地区だ――で、イドロに起因すると考えられる不可解な事件が起こっている』

画面が切り替わり、何人かの顔写真とデータが映し出された。

『ここ10日間で立て続けに3人、この地区で行方不明者が出ている。失踪理由は不明で、足取りも全く辿れていない。最後の目撃情報は上野で、まるで神隠しにあったように消えているんだ。』

「失踪者間の関係は?」

結城さんが尋ねる。

『全くない。一人は芸大に通う女学生。あるコンクールに向けて、友人たちと共同で作品を製作していたそうだ。次に、小学生の男の子。家族で動物園に来ていた。最後に20代の会社員、未婚、男性、電車オタク、童t……』

「その情報いる!?やめて差し上げろ!!」

『とにかく全員、動機らしい動機もなく、ある日突然この場所で、忽然と姿をくらましている。誘拐の痕跡も一切ないそうだ。』

「偶然の可能性は?他人からは分からなくても、3人とも失踪したくなるような不安や悩みを抱えていたとしてもおかしくないわ」

『確かにそうかもしれない。しかし3人が3人とも上野から先の痕跡が一切見つかっていない、なんてことがあるだろうか?彼らはもちろん特別工作員の訓練は受けていない。しかも1人は小学生だ。この国の司法警察の力をどんなに過小に見積もったとしても、かなり考えにくいことだと思うね――というわけで』

「……というわけで?」

『現地調査が必要だ。麗華、相原君、行ってきたまえ』

 

「は……?」

「え……?」

二人同時に声が出た。

「ちょっと待って!現地調査はいいけど、どうして相原君が付いて来なければいけないの。」

『一人より二人のほうが調査の精度があがるだろう。それに、若い男女のカップルが上野の山を歩いているのは極めて自然だ。カモフラージュにもなる。』

「でも……」

『ああ、そうだ。西洋美術館に麗華の好きなエゴン・シーレが来ているらしい。ついでに見てくるといいよ』

「待って!私は相原君に危険な行動はさせないことを条件に許可していたはずよ。」

『もちろん、危険な場所にまで二人で行く必要はない。何か不審な点があれば直ちに相原君は引き返す。まったくルール違反ではないだろう。相原君はどうだい?僕はプログラムなので、人間が嫌だと言っているのに無理やり命令することはできないが……』

結城さんがギロリと僕を睨む。断れの合図だろう。

「それで構わないです。やります」

即答の代償は、脛にズシリと重いローキックだった。

「おおッ……そこ弁慶……」

『ではこの作戦でいこう。麗華もそれでいいだろう?』

結城さんは返事の代わりに小さく溜息をついた。

 

そういうわけで、僕たちは今、上野にいる。

 

「ところで……」

と悠城さんはつぶやいた。

「どうして私たちは動物園にいるのかしら?」

象の檻の前で彼女は首を傾げる。

休日の上野動物園は、たくさんの人で混雑していた。子連れだけでなく、ちらほら若いカップルの姿も見える。

「ほ、ほら、行方不明者の一人は動物園に来ていたんだろ。それに、これだけたくさんの動物がいれば、イドロが紛れ込んでいてもおかしくはないし。」

シスルからこっそり渡された行程表を隠しながら、僕は弁解した。

「それはどうかしら。最近の動物園の管理システムは精密だから、正体不明の異常生物がいればすぐ発見されていると思うわ」

「まあいいじゃん。動物園なんて小学校以来だし、上野動物園は一度来てみたかったんだよね。」

「相原君は動物なんて見慣れていたと思っていたわ。だって東京に来る前は熊と生活していたんでしょ?」

「北海道出身者にどんなイメージ持ってんだよ!!」

「好きなの?動物」

「別に……好きってわけじゃないけど。ただ象とか見るとテンション上がったりしない?アフリカの大自然が見えるようで……」

「相原君、あれはインド象よ。」

「ターバンをかぶったインド人の象使いが……」

「ターバンはシク教徒の文化よ。インド人の9割はターバンをかぶらないわ。」

沈黙。園内の喧騒と蝉の鳴き声が大きく聞こえてくる。

「……結城さんはどうなの?動物」

「動物って?」

「可愛いと思ったりしない?」

結城さんは眉を少し上げた。

「別に」

「そうか……。」

「……とりあえず、一通りスキャンしておくから、園内を一周して出ましょう」

彼女はそう言って、目の周りを軽く撫でる。

ジジ……と、カメラのレンズのような音がした。

 

「あの……結城さん。」

「何?」

僕たちは動物園を出た後、公園内にある老舗の洋食店で昼食をとっていた。動物園を出た後、池を巡り、また公園を歩いたが、午前中の収穫は、結局ゼロ。

「さっき、動物あんまり好きじゃなさそうな返事したよね?」

「さあ」

「あなたが先ほどから腰から下げているのは、中国大陸の奥地に生息する現地語で熊猫と呼ばれている生き物のストラップではないでしょうか」

「知らない」

結城さんは澄ました顔でハヤシライスを食べている。大学で食事をとるときはいつも砂を噛んでいるような表情で食べているくせに、今日は少しだけ頬の筋肉が綻んでいる。

「結城さん、ハヤシライス好きなの?」

「そうね……」

スプーンを持つ手が止まって、目が細くなった。

「ここのハヤシライスはね。小さい頃、よく連れてきてもらっていたわ。」

小さい頃――。そういえば、結城さんは彼女の父親に「改造」されたのだった。と、いうことはそれ以前は普通の人間だったということだ。僕は結城さんの小さい頃を想像してみた。彼女は一体、どのような子どもだったのだろう……?

「ふうん。誰に連れてきてもらったの?

聞いた瞬間、彼女はしまったという顔になり、小さく舌打ちして目をそらした。

「覚えてない」

「もしかして、お父……」

……さん?と聞こうとして、突き刺すような視線が帰って来たのでやめた。

 その後昼食が終わるまで、結城さんは一言も口を効いてはくれなかった。ただ食器の音だけがカチャカチャ鳴っていた。

 

店を出ると、7月の太陽が身体に刺さった。

「結城さん、西洋美術館のほうに行ってみる?犠牲者の一人は芸大生だったし、確か君の好きな画家の特別展をやっているって……。」

結城さんは歩みをぴたりと止めた。

「……相原君。」
「何?」 

「調査は終わりにしましょう。」

「……え?」

「いいえ、『調査』という名のレクレーションね。」

溜息の音が聞こえた。

「シスルでしょう。彼は何かと理由をつけて私を外に連れ出そうとするの。」

彼女は自嘲気な笑みを浮かべて顔をあげた。

「彼は、私に『日常』を生きてほしいと考えているの。――あたかも、私が普通の人間の女であるかのように。」

「それは……サポート役として、当然のことなんじゃないかな。人工知能に感情は無いのだろうけど。」

「そうね。でもそれは無理なの。」

「無理?」

「相原君はこう思っているのではないかしら。私は外見は人間と変わらない。食事もするし睡眠もとる。感情も欲求もあるのだから、日常を愉しむのに何ら不都合はないだろうって。」

僕は言葉に詰まった。彼女の指摘が正しかったからだ。

「でもね、これだけは言っておくわ――」

生暖かい風とともに、太陽が雲に隠れて影が出来る。

「私は――そうしないこともできるの・・・・・・・・・・・・。いくらそうすることができたとしても。そしていくら努力しても、そうしないこともできる、ということからは逃れられないの。」

ごくり、と唾を呑む。シスルも同じようなことを言っていた。そして彼女にとって世界はファンタズマゴリーのようなものだと――。

 かける言葉が見つからないまま、時間だけが過ぎた。雲の間から太陽が再び顔を出す。

「……ごめんなさい。相原君に言っても仕方がなかったわね。『調査』を続けましょう。」

鞄から一枚のパンフレットを取り出した。

「エゴン・シーレ。私、この人の絵が好きなの。美術館という場所は相原君にとっては退屈な場所だと思うのだけれど……。」

「僕に文化教養がないことを前提にしやがって!!」

 

……とはいえ、確かに美術館という場所は苦手だ。映画や芝居に比べて、何をしていいのか分からないのだ。ほうほうこういう絵か、と納得して、すぐ次の絵に行ってしまう。一枚の絵を何分もかけて観ている人は、いったい何を観ているのだろう?

美術館の特別展の壁には、身体が奇妙に捩くれた人々を描いた絵が飾られている。エゴン・シーレ。20世紀初頭のオーストリアで活躍した、表現主義の画家。28歳で夭折。地方のサブカルオタクだったので、名前だけは何かの本で読んで知っていた。独特のタッチで描かれる男とも女ともつかない人間の身体は、エネルギーに満ちているようで、皆どこか物哀しい。いったいなぜ結城さんはこの人の絵が好きなのだろう。

「これは……電車?」

人物画が多い中、一枚だけ長方形を連ねた平面的な絵が飾られている。

「そう。シーレが幼少のころ描いた絵よ。彼の家は代々鉄道員を仕事にしていたの。」

「ふうん……」

言われてみれば、確かに子供のお絵かきのようにも見える。電車か。電車……。

「あっ!!」

大きい声を出して周りの観客から白い眼で見られた。僕は慌てて休憩室に駆け込み、スマホで上野の地図を開いた。

「……どうしたの。ああいう振る舞いは田舎者っぽくてものすごく恥ずかしいからやめてくれないかしら。」

「ご、ごめん。それより、イドロが隠れていそうな場所を、ひとつ思いついたよ。」

僕はそう言って、スマホの地図を見せた。

「博物館動物園駅の跡。」

 

博物館動物園駅は、私鉄の地下鉄駅で、上野にある動物園や博物館への最寄り駅としてつくられたが、今から10年以上前に廃駅となっている。今では一部が隣接する芸術大学の物置となっているほか、定期的に各種のイベントが開かれているという。

「鉄道マニアにとっては観光スポットだろうし、子供にとってもちょっとした冒険になる……と思ったんだけど……。」

僕は駅の扉をガチャガチャ動かしてみた。

「鍵がかかっているね。当たり前だけど。」

「相原君、見て」

駅舎をサーチしていた結城さんが、建物の石壁に向かって手を伸ばす。

 結城さんの手は、するすると壁に吸い込まれた。

「幻影よ。本物の壁は壊されているわ。」

 

スマホの光を頼りに、廃止された地下鉄駅の階段を下りる。暗視ができる結城さんの後ろをおっかなびっくりついていく。階段を下りきると、僕たちの目の前に怪物の姿が現れた――

「わっ!!」

大声を出して尻餅をつきそうになる僕に、結城さんが呆れ声で言った。

「相原君……あれは絵よ。」

よく見るとそれは、子供の身長ぐらいの大きさの、2体のペンギンの壁画だった。

「え、絵か……。あまりにも不気味すぎて怪物と間違えた。」

結城さんがペンギンの絵をサーチする。

「……この絵も幻影ね。裏に空洞があるわ。」

「普段は幻影でカモフラージュして、餌を呼び込むときだけ解除した……のかな?」

「おそらくそうでしょうね……。」

彼女は僕の方に鋭い目を向けた。

「……分かってるよ。僕はここまで。あとは君の仕事ってことだろう?」

「……今日は随分、物分かりがいいのね。」

「約束だからね。じゃあ……僕は公園で待っているから。」

そう言って僕は背中を向ける。その背中に声がかかった。

……ありがとう。今日は楽しかったわ。」

「……え?」

思わず振り向くと、既に彼女は幻影の中に消えた後だった。
 
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