その1 その2 その3
 
 夏至を間近に控えた6月の太陽が漸く斜めに傾き、西の空がサフラン色に染まった頃。

上空で旋回を繰り返す黒と黄土色の巨大な蝶の目の前に現れたのは、再起動を完了させた深紅の戦士――フォージアンだった。メタルスーツのシステムは回復し、正常に稼働しているもように見えるものの、完全に元通りに修復できたとはいえず、左腕の傷や身体の焦げ跡はそのままである。

『来なさい――私は逃げも隠れもしない』

フォージアンは巨蝶に向かい挑発的に宣言すると、工場の中に姿を消す。まるで誘っているかのように。

手負いの獲物に、この期に及んでどんな小細工が出来るのだ――?と巨蝶は考えたに違いない。まぁ、そろそろいいだろう。あいつがどんな抵抗をしたとしても無駄だ。自分はあの極上の深紅の花弁を蹂躙し、カラカラになるまで吸い尽くしてやるのだ。

 勝ち誇る蝶はフォージアンを追って工場に飛び込む。狩るべき対象は追わなければならぬ。それは彼自身に埋め込まれたプログラムのひとつでもあった。

工場内は明り取りの窓がすべて閉められており、薄暗かった。突然ギィ――という音とともに扉は閉じられ、内部は暗闇となる。閉じ込めたつもりか――?しかしそれは自分にとっても好都合だ。相手はもはや袋の鼠。暗闇はむしろ相手の視界を疎外する。だが、相手の姿は自分からは丸見えだ。巨蝶の複眼が、光を放つフォージアンのメタリックボディを捉える。さっさと決着をつけてしまおうと翅を広げ、自身の必殺攻撃――鱗粉を放射する。再び深紅のボディが黄土色の粉で覆われ……爆発する!!

パン!!パン!!パン!!パン!!

さっきと同じではないか――学習能力はないのか?巨蝶は訝しんだ。確かに前回とは違い、腕をクロスしてガードの姿勢を取ってはいる。しかし、傷ついたスーツに追い打ちのように浴びせかけられる爆弾には到底耐えられまい。実際、衝撃で脚がよろめいていて、徐々に後退していっているじゃないか。

巨蝶の考えどおり、フォージアンはついに立っていることさえできなくなり、全身から白煙を立ち上らせながら膝をつく。獲物をしとめようと、蝶はフォージアンに飛びかかっていく。灯りに群がる虫の本能もあったに違いない。巨大な翅が光を放つ赤い花弁に覆いかぶさろうとしたとき……。

――高圧の水流が大量に、巨蝶に向かって放たれた。

--------------------------- 

「まず考えなければいけないのは」

と僕は言った。

「どうしてあの巨蝶は襲ってこなかったんだと思う?フォージアンはもう動けなかった。とどめを刺そうと思えば、いくらでも刺せたはずだ。」

「そうね」

結城さんが頷く。

「私もそれは思っていたわ」
彼女はとりあえず僕の話を聞いてくれることにしたようだ。 

「僕の推測では、あるものが再生するのを待っていたんだと思う?」

「あるもの?」

「鱗粉だよ。もちろん普通の蝶ならそんなに速く再生することはないけどね。あの蝶は鱗粉を撃ち尽くしたはず――実際、君に覆いかぶさっていたときは真っ黒だった――なのに、最後に飛び立つときはわずかに黄土色の斑点が見えた。多分少しずつ再生しているんだと思う」

「でも、私はまったく動けなかったのよ。鱗粉なんかなくても、私はきっと……」

「止めをさせない理由があったんだよ、結城さん」

と、僕は横たわる結城さんの全身を見て言った。

「君は今、どういう状態?」

「どういう……?」

「ボロボロで、びしょ濡れで、あ、下着のラインも見え……」

「相原君……」

結城さんが胸を押さえながら立ち上がる。

「……普通の人間ひとりを簡単にミンチにできるぐらいには、私はもう回復しているのだけれど……?」

赤黒いオーラが見えた。

「ご、ごめん!つい!そういうつもりじゃなくて!!問題は、そう!濡れているっていうことで……げふぅ!?」

いろいろな意味で重い右フックをくらって、僕はまた石灰の袋へとふっとんだ。

ボフンッ!

「……ケ、ケホッ!!……せっかく洗ったのにッ」

結城さんがつかつかと歩み寄って来て、僕の頭をがしっと掴む。

「……それで、濡れていたことの何が問題なの」

「フォージアンは、壊れた消火栓から溢れた水の落下点に倒れていただろ。それでびしょ濡れになったんだけど……ごめんなさい痛いです離しでください」

「……もう余計なことは言わないって誓えるかしらこの変態ゴキブリ野郎」

「言わない!多分言わないと思う!言わないんじゃないかな!!」

「……不吉な予感しかしない三連発ね」

溜息をつきながらも、なんとか離してくれた。

「それで、続きを」

結城さんは左手で胸を隠しながら立っている。そのポーズ、かえってエロいんですけど……。

「そ、それで、蝶の翅っていうのは繊細なんだよ。ちょっと水に濡れただけで途端に飛べなくなる。その翅を守っているのが鱗粉なんだ。鱗粉は水を弾くからね。」

「つまり……」

結城さんは人差し指を立てた。

「あの蝶はすでに鱗粉を失った後だったので、水を浴び続けていた私に近づけなかったのね。自分も濡れることになるから」

「そう。水で動きが鈍っていたところに反撃が来るかもしれない。フォージアンが本当に動けなかったのかどうかは向こうからは分からないからね。あるいは単に素体の本能で水を嫌がったか。」

「……もう一度鱗粉を放出させてから、水を浴びせてしまえば、敵の動きを封じられそうね」

自ら考える様子を見せる。感触がよくなってきた。
「そう。あの翅を封じてしまえば、フォージアンは圧倒的優位な立場に立てる」

「でも、水はどうするの。私には放水機能はついていないのよ」

「水道は生きているだろ。それにほら、この石灰」

僕は自分の身体についた石灰を掬ってみせた。

「ここはおそらくセメント工場か何かだったんだろうね。この手のものを扱う工場には必ず、粉塵の防止と洗浄のために……運が良ければまだそれが残っているはずだ。機械類もまだ持ち出されてはいないようだし……ほら、あった。」

僕がそれを発見して指を指す。

「高圧の産業用スプリンクラー」

 

--------------------------- 

フォージアンは、産業用スプリンクラーを自らの身体に接続し、腹部のキーボードを使って操作していた。工場に舞う粉塵を瞬く間に洗浄してしまうメイド・イン・ジャパンの精密機械は、そのノズルから大量の水流を、蝶に対して噴射する。巨蝶はその水圧で弾き飛ばされ、工場の壁に叩きつけられる。生命線である黒い翅は水に濡れて重く、ベッタリと地面についてしまっており、持ち上げようとするがピクリとも動かない。

膝をついていたフォージアンがゆっくりと立ち上がり、右の太腿から特殊警棒を取り出し、ガンモードに変化させる。

『ジルベスター、ジャッジメント・モード起動』

バイザーの奥に光る二つの目が、巨大な蝶を捉えた。黒い翅が重くて六本の足をもぞもぞと動かすしかなく、逃げ出そうにも扉は閉ざされている。フォージアンは腕を伸ばし、慈悲を請うかのように這いずるその哀れな怪物に、照準を合わせる。

バイザーに”Conviction”の文字が映し出される。深紅の戦士はそれを合図として、躊躇なく引き金を引いた。 

『――ラスト・バレット!!』

次の瞬間、一際大きな青白い光の弾丸がはなたれ、巨大な蝶を包み込んだ。その光の奔流は対象をバラバラに粉砕し、黒い翅、キチン質の身体、六本の脚、そのすべてを消滅させた――。

 

 工場の扉が再びガラガラと開き、夕方の、サフラン色の西日がフォージアンを照らす。赤い花びらとともにヘルメットがパージされ、結城さんの長い黒髪があらわれた。

「結城さん!」

僕は駆け寄った。

「よかった……上手くいって」

ほっと胸を撫で下ろす。

「ええ。結果的に……だけれど」

彼女は髪を両手で掻き上げ、僕の方を見た。アーマーは黒く焦げ付き、息もあがってはいるけれど、とりあえず大丈夫そうだ。

「仮定に仮定を重ねた推論に基づく行き当たりばったりの、本当は作戦とも呼びたくない代物ではあったけれど、ま、賭けに勝った……ってことね」

 

--------------------------- 

「ところで、相原君……」

僕が作戦を一通り説明した後、結城さんが尋ねた。

「何?」

「どうやって、もう一度鱗粉を落とさせるの?」

「それは――……」

「……」

「……」

「……考えてなかったのね」

結城さんが溜息をついた。

「ご、ごめんなさい……」

「仕方ないわ。つまり、もう一度あの攻撃を受ければいいのね。身体で。」

「……結城さん。この作戦はやっぱり駄目だ。既にフォージアンはダメージを受けてすぎている。もう一度あの爆撃を食らうのは危険が大きすぎるよ」

「大丈夫。出力の配分をアーマーの維持に出来るだけ振り分けておけば、65%の格率で耐えられるわ。」

「でも……」

「相原君」

結城さんは遮るように言った。

「確かに危険な賭けかもしれない。でも、私は賭けてみたくなったの。あなたの作戦に。」

 

--------------------------- 

「どんなに欠陥だらけの作戦だったとしても、結果的に勝ったのであれば、よい作戦だったってことじゃないかな?」

「そうね……でも、そもそも相原君が最初から余計なことをしなければ、そんな無謀な賭けをしなくて済んだのだけれど」

「……今それここで言う!?」

「でも、相原君のおかげで助かったわ。これまでのことは無かったことにしてあげる」

結城さんはそう言って、僕に対して微笑んだ。憂いにも自嘲にも満ちていない、結城さんの本当の笑顔を見たのはこれが初めてだった。

 

「あ、あの……結城さん」

僕は思い切って、声をかけてみた。

「これからも君の戦いに協力したい。もちろん戦いには参加できないけど、今日みたいに、他のことで助けられることはあると思うから……いいかな?」

照れくさそうに右手を差し出す。結城さんは僕の右手を見て、それから僕の顔を見て言った。

「よくないわ」

ドシンッ!!!

バランスを崩した僕は盛大に前のめりに倒れた。

「何でだよ!!雰囲気的に何となくOKする流れだったじゃないか!!」

「何を勘違いしているのか知らないけれど、私はそんなことをOKした覚えは一度もないのだけど……」

「僕の作戦をけっこう評価していたじゃないか!!」

「ええ。でも、今回みたいに相原君の協力を仰がなければいけない状況は、そうそうあるわけではないでしょう?」

「そ、そうだけど……」

「あのね……さっきも言ったけど、そもそも戦えない人に付きまとわれるのは……」

結城さんのお説教は、別の声に遮られた。

 

『僕も彼の提案に賛成だ。麗華』

「……!?」

あたりをキョロキョロ見回すが、もちろん誰もいない。フォージアンのものに似た、機械音声がかった声だが、こちらは男性だ。

よく耳を澄ますと、声はフォージアンのアーマーのモニター周辺から聞こえてきていた。

『相原君は確かに肉体的には貧弱で、直情的で楽観的すぎるところがあるが、全体を見通す観察力はあるし、そこからひとつの結論を導き出す頭の良さもある。我々にとっても悪い契約ではないと思うがね。』

「シスル――でも……」

……シスル?

『それに――麗華、君には人間の友人が必要だ、僕はそう思う』

「あ、あの……」

誰?と聞こうとしたとき、その機械音声が僕に向かって告げた。

『初めまして。相原君。僕はシスル。フォージアンをサポートするために造られた、汎用自立型プログラムだ。』



Prologue:完