その1

 2か月後――。

あの日から僕は、波乱の毎日を過ごしていた――なんてことは全くなく、実際はごく平凡な大学生活を過ごしていたのだった。

 

『完全に見失ったわ、あなたのせいよ――』

あの赤色の戦士はそう言い放つと、依然として腰を抜かしたままの僕を置いて踵を返し、地下道の角を曲がって見えなくなった。

「あ、あの。」

未だ満足に身体に力が入らない僕は、よたよたと立ち上がって後を追ったのだが、当然追いつけるはずもなく、曲がった先にはもう誰もいなかった。ただ、ちょうどその角のあたりに、数枚の紅い花びらが落ちていた。辺りを見渡すがそこは地下道で、それらしき観葉植物の類もない。気になって手にとってみると、その花びらは手のひらの中で溶けるように消えてしまった――。

  それから今に至るまで、僕はあの赤色の戦士を見ることはなかった。翌日の新聞を見ても、単に地下道で爆発事故があったと記されているのみで、かの芋虫のような化け物のことも赤い鎧を着た女性のことも載っていなかった。まあ彼女の姿を見たのは僕だけだし、巨大な芋虫だってパニックの中でチラリと見ただけでは、並の人間ならきっと見間違いか妄想で済ましてしまうのだろう。面倒なことは全部無かったことにしてしまうのが、この大都会で生きる知恵だ。都心からは少し離れた大学街で過ごしている僕でさえ、2か月も暮らせば何となくそのことについて察してはいた。

 

 ということで、僕は上京初日に起きた出来事についてはきっぱり忘れて、とりあえず大学生活を楽しむことにした。

 とはいえ、少し勉強ができたというだけで他は全て北海道の田舎者丸出しの僕が華々しく大学デビュー!!などできるはずもない。従って不本意ながら極めて地味な学生生活を送るしかなかった。幸い、それなりに馬が合う友人も早々に何人かできたし、いまどき中学時代から『ユリイカ』を定期購読するようなベタベタな文系青年にとっては、芝居にせよ映画にせよ、地元では味わえないような憧れの文化生活を送れているのは確かだった。

 

そうこうしているうちにゴールデンウィークが過ぎ、五月病を何とか切り抜け、にわか都会っ子気分も生まれ始めてきた、初夏のある日、転機は訪れた。授業が一コマ、急に休講になったので、僕は情報棟のパソコンで勉強……ではなく、まとめサイトを巡回しながら時間を潰すことにした。

適当に気になった記事を見ていると、匿名掲示板のちょっとオカルト系の話を集めたサイトに行きついた。僕は普段はこのような記事は読まないのだが、この手の内容はいざ読み始めるとどこまでも読み続けてしまうものだ。航行中の船からすべての船員が忽然と消失した有名な歴史事件や、田舎に旅行した時に体験した怪談などの記事がある中、ひとつの記事が僕の目に留まった。それは、最近多発しているテロ事件は異世界からの侵略者によるもので、それに対して赤い強化スーツを纏った戦士が戦っているというもの。

異世界からの侵略については、某有名な神話体系を持つホラー小説から取ったのであろう設定の産物で、明らかな創作だった。案の定、厨二病乙とか、創るならもっとうまく創れよなどのレスがついている。しかし赤い戦士、というところに僕は引っかかった。そのスレッドには他にもいくつか目撃情報が書かれていた。その人に異世界に連れて行かれたとか、中身は某アイドルグループのセンターだとか、ほとんどが怪しげな情報であるものの、ひとつだけ妙に具体的な情報が書かれていた。テロリストに誘拐されかかったところを、メタリックな赤いボディを持つ女戦士に助けてもらったとのこと。彼女が去ったあとにはアザミの花びらが落ちていたということ。そして、彼女は「フォージアン」と名乗ったという。

――フォージアン?

僕はその名を頭の中に刻み込んだ。

 その書き込みによれば、彼女が目撃されたのは都心のあるターミナル駅の周辺であった。
次の休日、僕は衝動的にそのターミナル駅を訪れてしまっていた。冷静に考えれば、そのような匿名掲示板の真偽不明な情報で彼女を探そうとするなど雲をつかむような話なのだ。しかも数日前からこの時期にしては珍しく快晴が続いており、その日も七月下旬なみの陽気であった。北海道出身の僕にとって関東における七月下旬なみの陽気とはこれすなわち灼熱の世界である。JRで40分ほどかけて都心まで来たものの、あの記事の漠然とした情報だけではどこをどう探していいやら分かるはずもない。早々に力尽きた僕は、近くの喫茶店でしばらく清涼感を補給することにした。

 

もう帰ろうかしらと考えながらアイスコーヒーを飲んでいると、奥の席に座っているある女性に目がとまった。

大学で語学クラスが同じの結城さんだった。

 

結城麗香。都内にある国立大学に通う女子大生。それ以外のプロフィールを、僕はほとんど知らない。外見は黒髪のロングストレート。化粧に気を使っている感じはあまりしないし、ファッションも地味なのだが、切れ長の瞳と通った鼻筋がナチュラルボーン大和撫子といった風情を感じさせる。端的に言えば美人ということである。

  結城さんの印象について一言で表すなら「孤独」。僕は語学クラスだけではなく他の講義でも彼女と一緒になることが多い(どうやら外国文学に興味があるらしい)のだが、僕は大学で彼女が誰かと親しげに話しているところを見たことがない。どうやら、彼女はこの学校に同じ高校の同級生がいないようだった(もっとも、それは僕も同じ)。昼食も、たまに見かけたときにはいつも、食堂や屋外のベンチで1人きりで食べている。

人付き合いが苦手というよりは、最初から他人に関心がない、むしろ他人を避けている、といったほうが正しいのかもしれない。誰かが話しかけてもあいまいな返事を二、三言話すだけ。食事やコンパの誘いはすべて断っている。4月頃はその美貌から何人かの男子がアタックを試みたらしいが、その勇敢なる戦士たちはほぼ例外なく全滅したとも聞いている。あまりしつこく誘うと。氷のような視線で人の心を抉る一言を残して去っていくらしい。中にはそのカウンターパンチが強烈過ぎて入学早々大学に来なくなったやつもいると聞く。さらに、立場を利用して彼女に接近を試みた(つまりアカハラである)若い助教の股間に蹴りをいれて病院送りにいたという武勇伝さえ、まことしやかに囁かれている。彼女の身体の細さを見るに、いくら急所とはいえ男性を病院送りにするだけの脚力があるとは思えないが……。まあそういうわけで、最近では誰もが彼女を避けるようになっている。

 彼女はいったい、何のために大学に来ているのか。真面目に勉学に打ち込んでいるのかというとそうでもなくて、常に教室の隅に座り、講義の途中でもしばしばつまらなそうに窓の外を見たり、何かを考え込むかのようにずっと頬杖をついて物憂げな表情を浮かべたりしている。しかしそれでいて先生に抜き打ちで当てられても、「der、des、dem、den…」とドイツ語の定冠詞の格変化をつかえることなくスラスラ答えられるのだからたいしたものだ。もしかすると帰国子女なのかもしれない。

 

  その結城さんが目の前に座っている。こんなところで出会うとはもちろん思いもよらないことで、一気に清涼感が増した。いかにもバーゲンで選んだという感じのボーダー柄のカットソーと安物のジーンズ。大学にいる時と同じように、コーヒーのカップを片手に口をへの字に曲げて、世界のすべてを呪うような、物憂げな表情を浮かべていた。

そんな姿をしばらく眺めていると、僕はふいに彼女に話しかけてみたくなったのだった。

 

僕は以前にも一度だけ、彼女に声をかけようと思ったことがある。ある日のフランス文学の講義の前、まだ教室が空いておらず、その講義を取っている友人もいなかったので、僕は所在無く、廊下でスマホを弄りながら時間を潰していた。ふと顔を上げると、結城さんがいた。彼女は壁に背を預けて、文庫本を読んでいた。そのタイトルに眼をひかれた。ヴィリエ・ド・リラダン『未来のイヴ』。ずいぶん古いSFだ。僕は興味を引かれた。「結城さん、SF好きなの?」と話しかけようとして、「結城さ」まで発したその瞬間、彼女は急に顔を上げて、氷のような目で、僕のことをギロリと睨んだのだ。その後に続くはずだった言葉は、もう出てくることはなかった。

 

それ以来、僕は彼女に声をかけようと思ったことはない。そのような僕の防衛機制が、なぜそのときばかりは外れてしまったのかは分からない。もしかすると、このうだるような暑さのせいかもしれない。そういえば昔読んだ小説で、太陽のせいで人を殺してしまったと主張する主人公がいた。アルジェリアの太陽が人を殺させるなら、日本の太陽が製氷機みたいな女の子に話しかけるよう仕向けてもいいじゃないか。そうだ、そのほうが余程平和的で健全だ。

 

「あ、あの。結城さん、だよね?」

僕が話しかけると、頬杖をついていた結城さんは少し間を置いて、いかにも面倒くさそうに目を細めて僕を見た。

「誰?」

誰、ときたか。

「相原だよ。相原浩平。ドイ語クラスが同じの。ほら、自己紹介で音尾琢真の細かすぎて伝わらない顔マネをして盛大にスベった……覚えていない?」

「覚えてない」

「こんなところで会うなんて珍しいね。結城さんは何か用事があったの?」

「さあ」

目線を外された。

「今日は暑いね。東京って毎年こんな感じなの?」

「さあ」

「結城さんは、この店に来るのは初めて?」

「知らない」

「え、えーと……」

……いかん。ノープランにも程がある。

「そ、そうだ。結城さん、前にリラダンの『未来のイヴ』を読んでいたよね」

SFに興味があるのかと聞こうとしたとき、スマホの発信音が鳴った。慌ててポケットを探るが、自分のではない。

鳴ったのは結城さんのスマートフォンだった。彼女がスマホを弄っている姿は、少し不思議な感じがする。まことに勝手ながら、結城さんはいかにもスマートフォンなど持ってなさそうなイメージだったからだ。それはそうと、この後どのように話を続けようか――その戦略を考えていると、結城さんはスマホをポケットにしまい、伝票を手に持って、何も言わずにレジに向かう。あっ……と思っているうちに、結城さんは会計を済ませるとそのまま店を出て行ってしまった。

にわかに、どこへ行くのだろう?という興味が強くなった。今から思えば、このときが本当の転機だったのかもしれない。気が付くと、僕は伝票を片手に慌てて会計を済ませ、彼女の後を追っていた。

 

何かの推理小説で読んだ尾行の方法を思い出しながら、僕は一定の距離を開けながら彼女の後についていく。幸い、結城さんは後ろを振り向く素振りさえみせない。すたすたと目的地へと向かっていく。客観的に見れば、どう考えても異常者の行動だ。日差しも少し傾きかけてきている。僕は何度か正気に戻って、途中で引き返そうと考えた。だが結局は、氷の瞳を持ったミステリアスな女の子の秘密を何か一つでも解き明かしたいという邪な欲望が勝ったのである。

そうこうしているうちに随分とターミナル駅から離れ、人影もまばらになってきた。寂れた工業地区。機械音がいたるところで響く中、長く続く不況の煽りだろう、倒産し、新たな所有者も見つからず廃棄された工場が幾つか点在している。

結城さんはそのような廃工場の敷地にある、倉庫のような建物に入っていく。僕も見つからないように後を追う。扉の陰から覗くと、彼女は天井にある何かを見上げ、確認するようにスマホを取り出す。

何を見ているのだろう?ここからだと梁が死角になって、彼女の見ているものは見えない。だが、アレが彼女の目的であることは間違いないだろう。少しでも近づこうと、そっと中に入る。だが、早く柱の陰に身をひそめようと、慌てたのがいけなかった。

 「わッ!?」

足がもつれて転ぶ僕。当然ながらドシンという音が工場の中に反響する。

結城さんがこちらを振り向いた。

「相原……君?」

彼女の少し釣り上った瞳が、大きく見開かれ――次の瞬間、僕のいる方に猛烈にダッシュしてきた。あの氷のような目になって。

「こ、ごめん!!つけてきたことはあやま――」

謝るから、と言おうとしたとき、彼女が叫んだ。

「屈んで!」

勢いに押され、言われるがまに身体を丸める。

すると、僕の目の前で、彼女はスケート選手のように高くジャンプした。引き締まった太ももが(華奢だと思っていたが、こうしてみると随分鍛えられているんだな、と関係ないことを思った)僕の頭上を通過し――そして右足を回転させ、僕――の後ろに立っていた人影の側頭部に叩きつけた。

 

ゴキ、という骨が折れる音がして、その人影は倒れた。覆面をつけた体格の良い男。そしてその手には、拳銃が握られていた。ゴトリという音とともに手から拳銃が転がる。もちろん僕は本物の拳銃など見たことがないが、その重量感は、玩具だとしても相当精巧なものだろう。

もしかして、撃たれるところだった?そして結城さんが僕を助けてくれた――しかし、その男は横たわったままピクリとも動かない。

「ゆ、ゆ、ゆ、結城さん!」

僕はしなやかに着地した彼女に声をかけた。

「助けてもらったのはありがたいけど、この人、し、し、死んじゃったんじゃないかなあ?」

「そうね」

結城さんは涼しい顔で答える。

「いや、そうねって……正当防衛かもしれないけれど、一応、殺人になるのでは……?」

「大丈夫。放っておけば数分で土に変えるわ」

そういって結城さんは男の覆面を剥がす。その下に隠れていた顔を見て――僕は息をのんだ。何と形容すればいいのだろう。毛は一本も無く、潰れた鼻、尖った耳、大きな口に鋭い牙。頭の上に小さな角らしきものを生やしている。RPGに出てくるオークとかゴブリンとか、そのような怪物を連想さえる風体で、少なくとも普通の人間ではないことは確かだった。

「――!?」

顔面蒼白になった僕。結城さんは少し眉を顰めた。

「悪いけど、驚いている閑はなさそうよ。ほら――」といって周囲を見るように促す。

「――完全に囲まれてる」

全身の血の気が引いていくのが分かった。同じような覆面をつけた怪人たちが、半円状に僕たちを取り囲んでいる。手に手に拳銃やマシンガンを持って。

 僕は悲鳴をあげた。

「ちょッ――!何だこいつらッ!?」

そんな状況でも、結城さんは顔色一つ変えない。僕を庇うように手を伸ばし、一歩前に出る。

「相原君――」

「は、はいッ!?」

「……約束して。今日見たこと、これから見ることを、決して誰にも話さないって」

「えっ!?わ、分かったけど」

むしろ明日があるかどうかすら怪しいのだ。

「本当ね。もし誰かに話したら……殺すから」

「……え?」

ギョっとして結城さんの顔を見る。結城さんは目だけをこちらに向けて言った。

「目を閉じて3つ数えて!」

言われるがまま、固く目を閉じるしかなかった。1……2……3

 目を開けると、紅い花びらがいくつか舞い落ちていて、結城さんは消えていた。

その代わりにそこにいたのは――

 

赤とシルバーで色分けされた、メタリックな強化スーツを着込んだ女戦士。僕が上京初日に出会ったのと同じ――そして掲示板の書き込みによれば名前は――”フォージアン”だった。

 

「えっ……、まさか……結城さんが?」

呟いた瞬間、覆面の怪物たちが一斉に発砲した。

……ダダダダダッ!

「うわッ!!」

轟音と白煙。僕は両手で反射的に頭を覆い、うずくまる。次々と色々なことが起こりすぎて思考が追い付いていなかったが、今度こそもう駄目らしい。僕の人生――

 

だが、弾は一発も飛んで来なかった。

 放たれた銃弾は、すべて目の前の、腕を大きく広げた結城さ……フォージアンが、体全身で受け止めていた。赤いメタリックボディからは火花が散っているが、まったくダメージを受けている様子はない。

『……邪魔ね』

射撃が中断した隙に、赤い戦士は振り返って僕の首元を掴み、そのまま軽々と片手で持ち上げた。

「……え!?」

『あっちで見ていて』

ぽかんと口を開けたところを宙へ放り投げられた。僕は弧を描いて飛んでいく。落下地点には山積みになった石灰の袋。

 ドサァッ!!

僕は全身を石灰で真っ白に染めながら、袋の上に着地した。

「ケホッ、ケホッ……」

何とか身を起こすと、厄介者を追い払って自由になったフォージアンが覆面たちと戦っていた。右の膝についているホルスターから警棒のようなものを取り出し、構えると、警棒の先から光の刀身が現れる。そして再び一斉に襲い掛かる銃弾をものともせず、集団の中に突撃していく。ズシャァッと一匹の怪人が胴体を真っ二つにされて倒れた。普段の結城さんからは想像できない機敏さだ。複数の怪人たちが組み伏せようと掴み掛るが、薙ぎ倒し、振り払い、切り裂いた。丸みを帯びた女性的なフォルムを持つ深紅の強化スーツに身を包んだ女戦士が、一体一体、剣を振り、身体をしならせ、時には宙を舞い、確かなリズムで怪人たちを倒していくさまは、戦闘というよりもフラメンコのダンスを見ているようだった。

 

 フォージアンがすべての敵を片付けるまでには、それほどの時を有しなかった。僕が石灰袋の山から這い出ると、結城さんが涼しい顔をして立っている。

「君が、僕を助けてくれた戦士だったんだね――」

「そう」

結城さんは少し目を細めて頷いた。

「特警機甲フォージアン。それが私の本当の姿」

「本当の……?」

「さっきも言ったけど、このことは絶対喋らないでね。喋ったら……」

ジトリ、という視線。

「……殺されるんだろ。分かったよ」

「匿名掲示板に書かれたことがあったの。小さな女の子だと思って油断していたわ。……まあ幸い、誰も信じていない様子だったから助かったのだけれど」

あの書き込みのことだろう。

「ところで相原君」

「何?」

「――どうして、ここにいるの?」
 
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