虚人譚

虚人がヒロインピンチやその他のことについて記しておく場所。

ガジェリョナよもやま話2

①ヴィークルリョナ
 バイクに乗った変身ヒロインは商業・同人問わず多数います。かつての戦隊シリーズでは、それぞれのメンバーに個人用バイク、もしくはそれに準ずる乗り物があるのが当たり前でした。また、仮面ライダーパロディの同人ヒロインならばやはりバイクに乗っていてしかるべきでしょう。
 そうであるならば、18禁創作においてもこのバイクを生かした責めがたくさんありそうなものです(ガジェットリョナにおけるヴィークルリョナ)が、意外なことにあまり見かけません。戦隊物の二次創作であれば、鳥籠さんの「寄生虫・続」におけるキバーマシンを使ったプレイがありますが、それ以外ではほぼ皆無と言ってよいでしょう(もし心当たりがあれば、是非コメント欄でお教えてください!)。
 サークル「鋼鉄連合」さんから出た「スタージェムライダー敗北集」には、この数少ないバイクを用いたヴィークルリョナのシチュエーリョンが収録されています。

 スタージェムライダー敗北集

愛車の座席に付けられたディルドゥで貫かれ、さらし者にされる正義のヒロイン。エンジンの振動がそのまま性感帯を刺激するバイブレーションとなる描写は、「寄生虫・続」とも通じるところがあります。変身ヒロインにとって愛車のヴィークルは辛い戦いの中で苦楽を共にしてきた相棒であり、ある意味では恋人のような関係でもあります。ヴィークルを使った責めは、その信頼関係を打ち砕くようなものであり、正義の敗北の象徴にふさわしいものです。もっとこのようなシチュエーションが増えてほしいと思っています。
 

ガジェリョナよもやま話

①アイテムリョナ話
 ガジェットリョナのサブジャンルとしてアイテムリョナがあります。ヒロインの武器やその他特徴的なアイテムを辱めること。ヒロイン愛用の、装飾に彩られた武器が陵辱の道具に使われ、白濁液にまみれている光景はとても良いものです。直接犯すには難しい武器でも、ヒロインに絶望を与えるために武器にぶっかけることにするという手法もあります。
 この応用編として、武器の空洞に白濁液を溜めこむという方法があります。これは、医療系の変身ヒロインなどで使いやすいテクニックです。たとえば狩野景『魔療少女ドクターキリエ』(二次元ドリームノベルズ166)では、ヒロインの武器である注射器型の剣のシリンダーに精液が溜めこまれ、それをヒロインに注入されるというシーンがあります。普段は浄化するための液体で輝いてたはずのシリンダーに汚い液体がなみなみ注がれている、というのは、ヒロインの敗北を象徴するのに効果的でしょう。これは「ナースエンジェルりりかSOS」の二次創作などでも応用できそうな気がします(実践しているのは見たことがありませんが)。医療系変身ヒロインの製作者様は参考にしてみてはいかがでしょうか。

魔療少女ドクターキリエ (二次元ドリームノベルズ)
狩野 景
キルタイムコミュニケーション
2005-08


  
②ヴィークルリョナ+紋章リョナ話
 Triangleの魔法戦士シリーズに 『魔法戦士シンフォニックナイツ』があります。これは、従来の魔法戦士とは少し異なり、魔法の技術に近代科学をミックスさせた力を使うヒロインが主人公で、戦隊物のような正義の組織が出て来ます。 その組織「ミネルヴァ・ガード」にはシンボルとなる紋章があって、その紋章がついた車に乗ってヒロインは悪の現場にあらわれるのです。当然ガジェットリョナを期待したいところですが、残念ながらあまりそのようなシーンはありません。ただ、サブヒロインである甘樹菜々芭が車の側面で犯されるというシーン(ここのサンプル画像の真ん中)は、車と紋章が両方映っていて、ガジェリョナラーとしてはかなり好きなシーンです。
 欲を言えば、車や紋章に精液が掛けられていたり、車内でやられちゃっていたりしればもっと良かった。あと基地のシーンでもこの剣と盾の紋章を登場させてほしかった。魔法戦士シリーズの続編にもシンフォニックナイツは登場しますが、この紋章や車は出てこないのがとても残念です。 
 

「摂理」としてのヒロピン、「奇跡」としてのヒロピン

 キリスト教思想の中に、「摂理」と「奇跡」という考え方があります。キリスト教では、この世界をつくったのは神様です。この世界にあるありとあらゆるものには、神様の意志が働いています。

 とはいえ、世界をつくった神様は、世界を運営していくにあたって、いちいち世界のそれぞれのモノに対して命令をすることはありません。もし神様がいちいち命令を下していたとすれば、私たち人間が行っているあらゆる事柄は、主観的には自分自身の意志で行っているように見えても、実は神様に操られていた、ということになります。この考えによれば、人間に自由意志は無いことになります。教会の思想がいまだ体系化してはいなかった古代には、このような考え方をする神父もいたようです。

 しかし、神様が世界のあらゆる事柄に対して、たとえば一つの原子の動きに対してまでも、微細に命令し続けている、という考え方を現代のキリスト教会はとっていません。神様は世界をつくり、世界の根本的な運用の法則(たとえば物理法則や生命の法則)を定めはしましたが、それ以外は基本的に世界に干渉しようとしません(ちょうど会社の社長が、方針を決めた後は社員の行動にいちいち命令をしないのと同じですね)。この考え方を採用することによって、アウグスティヌスという神父は人間に自由意志があるということを証明しようとしました。

 ところが、神様は基本的に世界に干渉しないといっても、何か思うところがあれば、その原則をやぶって干渉することがあります。これが「奇跡」です。「奇跡」はしばしば唐突におこり、その意図は人間には理解できないことも多々あります。そもそも神の意図は人間には理解できないからです。一方、神様が世界を放置しているときに世界に働いている神様がつくった法則のことを「摂理」と呼びます。私は、ヒロピンについても「摂理」としてのヒロピンと「奇跡」としてのヒロピンがあると思うのです。

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